善根宿のご主人にトレッキングポールを安価で譲ってもらった。
手前の黒い2本のものがNEWトレッキングポールだ。
尼さんの出家の経緯の巻
グリップは、ゴムからEVA(硬めのスポンジ)になったので、手の衝撃が緩和されることに期待!
ちなみにここまで使用していた木の杖は、削れて6〜7cmほど短くなっていた。
金剛杖でも、遍路が終わる頃には10cm以上削れてしまうそうだ。
なにはともあれ、木の杖ではなくなった。トレッキングポールは先端にゴムが付いている為、音はしないし、橋の上で使っても問題ないだろう。そう思っていたのだが、「確かにその通りなんだけど、それでもやっぱりやめたほうがいい」と仙人から忠告された。理由は「それを見て不快に思う人がいるだろうから」とのこと。どうやら音云々ではなく、橋の上で杖状のものを突くという行為自体を快く思わない人もいるようだ。
そう言われると弱ってしまうな・・・。
さすがに人を不快にさせてまでしたいとは思わないので、素直に従うことにした。
また歩いてる時に暇そうなので実はウクレレを持ってこようかと思ったという話をしたのだが「ふざけていると思われるかもよ」と宿主から忠告を受けた。
え?んなあほな!
チンドン屋みたいに思われるのだろうか。でもウクレレという楽器が問題であって、琵琶法師のように琵琶なら問題ないのかもしれない。おそらくそういうことだろう。
遍路は脈々と受け継がれて来た伝統行事のようなものでもあり、且つ宗教的な側面もある為、基準から外れたものは異端扱いされてしまう可能性が高いのかもしれない。
・・・となると、四国の人は新崎人生についてはどう思っているのだろう。やっぱりふざけているように感じてしまうのだろうか。ちょっと気になる。
仙人の持ち物
仙人の杖は短いため、ほぼ登り専用の杖だ。
持ち手は根っこの部分が使われているのだが、うまいこと接合してあり継ぎ目がわからないようになっている。その上、先端部にはゴムもはめてあった。良い杖である。
この杖は、通夜堂で手に入れたものだそうだ。
廻っている際に見つけ、1回目は様子見、2回目も様子見、そして3回目に訪れた時にもまだあったので頂いてきたらしい。普段は、武士の刀よろしく腰に差して携帯しているそうだ。
仙人の履物は、サンダル。ちょっと履かせてもらったが、極めて普通のサンダルだ。
やはりメッシュの部分にこだわりがあるのだろうか。
そう思い尋ねてみたら、「持ってるからそれを履いてるだけ」というそっけない返答。特にこだわりはないようだ。なお未舗装路は、裸足で歩くこともままあるとのこと。まさに自然児である。
なお仙人の装備(基本野宿)を聞いたところ、30ℓのバックパックで重さは10kg以下に抑えているとのこと。10kg以上になると、負担が大きく、疲れてしまうのだとか。
仙人と一緒に、宿毛の街を散歩。
この街の人口は約2万人。善根宿のご主人曰く、高校卒業後9割以上の人は、進学や就職の為にこの街を離れるそうだ。由々しき事態であるが、こういう街ってのは日本のいたるところにあるのだろう。なにもこの街に限った話ではない。
地方で育った人が上京するように、都心で育った人が地方に移住すればうまいこと行くのだが・・・現実はそう甘く無い。それに関しては、インターネットも含めたテクノロジーの進化に期待するしかあるまい。
スーパーマーケットで買い物。
仙人はこういう風景に合わないというか、違和感があるというか・・・要は現代の人工物にそぐわない。それだけならまだいいのだが、もはや不審者とすら感じてしまう。
なおスーパーで売っているものは関東での品揃えとほぼ変わらなかった。
表面にコーティングされたものが、チョコではなく“ ようかん ” というところが珍しいと思い購入。味は普通。
そして今日も昨日に引き続き、善根宿のご主人に夕飯をごちそうになった。
剃髪の尼さん
高知のゲストハウスで、私の次の日に泊まった女性。
遍路は2回目。基本的には、安価な宿や善根宿、野宿で廻っているらしく、ご飯も大抵コンビニ飯。やはり坊さんなので、修行の一環ということなのだろう。贅沢は敵、なのかもしれん。
だがそこは人の子。「カフェとかに行ってる人を見ると、あーうらやましーって思っちゃう」とも言ってた。そりゃそうだろう。
寺では普段夜11時就寝〜朝4時起きの5時間睡眠なので、遍路の方が睡眠時間がとれるそうだ。ただ野宿の場合だと、蚊等の影響もあり、3時間くらいしか眠れないとのこと。壁があるとないとでは安心感が全く違うそうだ。そしてやっぱり一番怖いのは“ 人 ”らしい。
これに関しては、何度か野宿を経験した大阪の青年も同じようなことを言っていた。「野宿の場合、よほど慣れている人や、かなりおおらかなタイプの人じゃないと、ほとんど眠ることはできないですね。仮に寝れても全然疲れも取れないですし・・・」と。
慣れないうちは、無意識に警戒してしまうので眠ることは難しいようだ。
うーん、野宿を諦めて正解だったのかもしれない。
イケそうだったので、気になる出家の経緯も聞いてみた。
彼女は元々OLだったそうなのだが、当時『オーラの泉』のようなスピリチュアル的なものが流行ってたこともあり、パワースポットとかそんな所に好んで行ってたらしい。その延長線上で、ちょこちょこ寺にお行(滝行等)をやりに行ってたら住職に誘われたとのことで・・・要はスカウトみたいな感じで出家したそうだ。こりゃ珍しい。
ただその寺では出家希望者を断ったりすることもままあるそうなので、やはりこのあたりは“ 縁 ”みたいだ。そして割と柔軟なお寺らしく、出家するのも辞めるのも自由なんだそう。
また彼女は昔から結婚願望が希薄だったそうで、若い頃、親に“ 結婚しない宣言 ” をわざわざしていたらしいが、現在の寺で良き伴侶と出会ったそうだ。こちらも含め、縁ってのはどこに転がってるのかわからないものだと感じた。
「遍路に来てからこんな感じで談話するのは初めて」と語った彼女は、笑顔が素敵な女性だった。
就寝
今日は尼さんがいるので、仙人と相部屋。
夜中の3時頃、獣の咆哮のような声で飛び起きた。仙人のいびきだった。
・・・・・・・・・。
歩数 | ? 歩 |
---|---|
距離 | 約 0 km |
翌朝
出発前にふと納経帳を見たらとんでもないことに気づいてしまった。
なんと御朱印をもらい忘れた寺があるではないか!
15番国分寺だ。でもどんな寺だったのか、さっぱり記憶にない。
しかし11番・12番寺を最後に打つ予定だったからギリギリセーフか。いや、アウトか。いや、セーフか。もう〜、よよいのよいだよ・・・って野球拳をやっている場合じゃない!