出発前、他の客が使用した部屋を見たら布団が綺麗に畳んであった。
どうせシーツや布団カバーを洗濯の為に外すわけだから合理的とは言えず、むしろ手間・・・だと思っていたが、ひょっとしたら感謝の意を表す為に畳んだ方が宿の人も嬉しいのかもしれない。そういう心遣いも必要なのかも?
この高原からの下山ルートは、かなり急らしいので気を引き締める。
もはや衛門三郎の存在自体がうそなんじゃなかろうかの巻
まだ30分しか歩いていないのに、軒下で雨宿りすることを余儀無くされる。
あまりに雨が強すぎるため、ポンチョから水が浸みだしてくるのだ。100圴の防水スプレーもまるで効果無しである。
このポンチョはもうダメだ。
峠を登る。とは言っても、ここはすでに高原なので軽い坂道程度のもの。
頂上付近は、濃霧が立ち込めていた。
幻想的などではなく、どこか変なところに連れて行かれそうな怪しげな雰囲気だ。トワイライトゾーン!
なかなか下りの山道ルートが見当たらない。
薄々感づいてはいたのだが、道を間違えてしまったようだ。アスファルトルートだとすごく遠回りになってしまう為、このミスは痛い。でもしょうがないか。
昨日、静岡のおじさんに電話で聞いた話だと、未舗装路の山道は連日の雨の影響で所々崩落していたらしいので、結果としては良かったのかもしれない。本当のところはどうだか分からないが、心の落とし所としては十分な理由である。
このルートは霧で見通しが悪いため、車に轢かれる危険性がある。念のため、ヘッドライトをつけて歩くことにした。
とんでもないとこに連れて行かれそうなトンネルを横目に進む。これは遍路地図には載ってないので、どこに向かうかは不明。
きゅうりょうく【休猟区】とは、 狩猟鳥獣が減少し、その増加を図る必要のあるとき、三年以内の期間で、都道府県知事の指定により捕獲が禁止される地域。
ということは、3年経ったらこの標識は撤去するのだろうか。そしたら民家の横だけど、猟銃をぶっ放してもいいのかな・・・そんなまさか。
さすが愛媛。みかんが安い!
軽トラに乗ったおじさんにみかんを頂く。でもこれ、間違い無く1kg以上あるな。
ありがたいのだが、“ 食える鉄下駄 ”をもらったような感覚だ。虫の居所が悪かったら、嫌がらせかこら、とでも思ってしまいそうな代物である。
とはいえ、純粋な親切心でくれたのは分かるので、
嬉しいぃぃぃぃ!けど困るぅぅぅぅ!
というのが本音。
今日のお宿は、あの街のどこか。
交通量多し。車怖し。たま〜に現れるスズメバチも恐ろし。
松山までもうすぐだ。先ほど見えた街は、おそらく松山なんだろう。
車が怖いため、ここでヒッチハイクをするかどうかしばし悩んでしまった。
でも歩く。
ようやく交通量の多い幹線道路から、脇道へ。
みかん畑って傾斜のある場所ばかりにあるが、平地ではダメなのだろうか。
このみかんの木は畑ではなく道の脇に生えてるけど、野生のみかんなのかな?
捥いで食ってもいいのかな?
・・・と思っていたら、車のお接待を頂いた。缶コーヒーと共に。
車に乗せてくれたおじさんによると、どうやらあれは野生のみかんじゃないらしく、落ちてるものでも地元の人は拾わないそうだ。なるほど、拾わないでよかった。
おじさんも昔遍路をしたことがあるそうで、ルートを色々説明してくれつつ、寺まで送ってくれた。
第46番 浄瑠璃寺(じょうるりじ)
寺には以前見かけたことがある【神奈川のおばさん】がいた。
神奈川のおばさん
おばさんはイカさんのブログでの写真映りを気にしていたので、スマホで見せてあげた。写り具合には満足したようだ。
第47番 八坂寺(やさかじ)
せっかくなので両方通ってみた。へー・・・って感じ。
せっかくなので見てみた。ほー・・・って感じ。
謎のため池を眺めながら、歩を進める。
金色の稲を眺めつつ歩く。
目を疑ったが、グーグルマップ曰く、「ここを通れ!」とのこと。
グーグルがここを道だと認識していることに驚きつつも、素直に指示に従うことに。
工場だろうか。というか、こんなとこ勝手に通っていいのだろうか。もし怒られたらグーグルのせいにしてもいいのだろうか。
そもそもここは道なのだろうか。確かに通れるけれども。
“ 人が通れる所は道 ”という認識で構わないのなら、確かに道ではある。
札始大師堂
トイレがあったので、ちょっくらトイレ休憩。
ここは弘法大師も泊まったところみたいだ。
ちょうど近所のおじさんが来たので話を聞いたら、「衛門三郎が〜」とか「茶碗が割れてすっ飛んでいった」とか、「弘法大師を追い払った」とか、「石を握ったまま生まれて来た」とかそんなことを言っていた。でもなんかよく分からなかった。
おじさんの話がまったく終わらず40分以上付き合ったが、北朝鮮について語り出したところでさすがに切り上げた。虫の居所が悪かったら、嫌がらせかこら、とでも思ってしまいそうな出来事である。
悪気がないのは分かるのだが、本音を言えば、遍路者を拘束するのは長くても15分以内に抑えてほしい(遍路者の予定次第だけど)。ただ少しどもり気味な上、異常に説明下手なおじさんが、すごく嬉しそうに話してくれたので、どうにも話を切り上げにくかったのだ。
で、そのおじさんにまたみかんをもらった・・・。
飯を食う時間が無くなったので、昼食はコンビニで買ったものを歩きながら食うことに。
時間調整のため削るものといえば、大抵飯の時間だ。他の人もおそらくそうだろう。
メガネ野郎に、雨は天敵。雨が降るといつもこんな感じになり、視界が悪くなる。
第48番 西林寺(さいりんじ)
この辺は・・・
第49番 浄土寺(じょうどじ)
寺が・・・
第50番 繁多寺(はんたじ)
固まっている。
この辺りは、遍路シールが多くてわかりやすい。
雲だらけとはいえど、なんだか久々に青い空を見たような気がする。
へんろばしは、
いたって普通の橋。
第51番 石手寺(いしてじ)
本日最後の寺に到着。ここは観光名所らしく、人がやたらと多かった。
境内の奥には、穴っぽこ。
中はこんなん。どこに繋がってるのかは・・・分からない。
札始大師堂で会ったおじさん曰く、石手寺には寺の名前の由来となった『石』があるそうだ(これは理解できた)。で、私はこれを密かに楽しみにしていたのである。
死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れたところ、三郎は今までの非を泣いて詫び、望みはあるかとの問いかけに来世には河野家に生まれ変わり人の役に立ちたい(石手寺刻版には「伊予の国司を望む」)と託して息を引き取った。大師は路傍の石を取り「衛門三郎」と書いて、左の手に握らせた。天長8年10月のことという。
翌年、伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男の息方(おきかた)が生まれるが、その子は左手を固く握って開こうとしない。息利は心配して安養寺の僧が祈願をしたところやっと手を開き、「衛門三郎」と書いた石が出てきた。その石は安養寺に納められ、後に「石手寺」と寺号を改めたという。石は玉の石と呼ばれ、寺宝となっている。
Wikipedia【衛門三郎】より引用
だが、石を見て愕然とした・・・。
せいぜい碁石程度のものかと思いきや、なんと“ Sサイズの鶏の卵くらいの大きさ ” だったのである!
信じるか信じないかはあなた次第以前に、物理的に無理。生まれたての赤ん坊が握れるようなサイズではない!思わずため息が漏れた。
いくらなんでもあれはねえだろうよ、と、落胆した・・・のは事実だが、この寺は全体的にエンタメ性が高いのでよしとする!
趣のある仲見世通りの一角にある・・・
石手名物『やきもち』屋。
餅の中には、餡子入り。味はみたまんま想像通りの味だ。
その昔、ある焼き餅屋の娘がたいそう嫉妬深かったことから、『やきもちを焼く』という言葉が生まれたそうな・・・
とか、そんな逸話はない!
歩いている際、グーグルマップのナビ音声の「西に進みます」という言葉に勝手にsiriが反応してしまうことがたまにある。
その都度「聞き間違いがひどいな」とか、「なぁ〜に勝手にセクハラ被害者ぶってんだよ!」とか、「siri(尻)のくせに・・・」と思ってしまう。
ちょいと珍しいダルマ風の建物。
前方に見える緑屋根の建物が、かの有名な道後温泉。
松山市は、小説『坊ちゃん』の舞台ということもあり、石碑が建てられていた。
今日のお宿 エスポワール愛媛文教会館
今日も素泊まり。
シングルに空きがなかったため、ツインを選択。なおこのホテルを選んだ理由は、道後温泉が引いてあるからだ。
だが、困ったことにこのホテルには洗濯機がなかった。これは大誤算!受付で尋ねたところ、コインランドリーは、徒歩10分の距離だそう。
・・・・・・遠い。
コインランドリーは、ピンクのネオンが輝く通りを抜けた先にあった。
洗濯を終え宿に戻る際、行きしなに会ったキャッチの兄ちゃんに再び声をかけられたので少し立ち話。宿の話をしたところ「この辺は1泊3万とかするような宿ばかりで、そんなビジネスホテルのような安い宿もあるとは知らなかった」とのこと。
ちなみに遍路者でもこういう大人の店にたまにくるのだそうだ。「どう?」と言われたが、「今6000円しか持ってないんすよ〜」と断った。
ちなみにヘンロ割引はないそうだ。(あるわけないだろ)
歩数 | 48632 歩 |
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距離 | 約 35 km |